中日翻译家协会《汉译和歌》 每周一译(八)

自2018年6月11日开设《汉译和歌》每周一译《万葉集》专栏以来,得到了《中日新報》众多读者以及中国和日本友人的广泛关注和支持。在此表示衷心的感谢。

本周汉译「和歌」一周一译《万葉集》第八期为大家翻译的是持统天皇的作品。

持统天皇是日本第41代天皇,日本的女性天皇之一,本名为鸬野赞良。657年(齐明天皇3年),鸬野赞良嫁给了叔父大海人皇子(天武天皇)为妃,同时下嫁的还有鸬野赞良的异母姐大田皇女和异母妹大江皇女、新田部皇女。尽管日本皇室盛行近亲结婚,但四位“姐妹花”共侍一位长辈的情况,其实还是极为罕见。

673年(天武天皇2年),晋升为皇后。686年10月1日(朱鸟元年9月9日),天武天皇去世后,鸬野赞良皇女称制,执掌政事。690年(持统天皇4年),因太子草壁皇子去世,鸬野赞良皇女正式即位。697年(文武天皇元年),让位于草壁皇子之子文武天皇,改称太上天皇。《万叶集》中有其所作和歌。持统天皇死后葬于桧隈大内陵(今奈良县高市郡明日香村)。

香具山

就在武则天登基为女皇的同一年,东瀛岛国日本也诞生了一位新女皇。这位女皇的人生颇为传奇,不仅与三姐妹同时嫁给叔叔,而且还与丈夫合谋夺取哥哥的皇位,在儿子去世后登基为天皇,死后又“破天荒”地实行火葬。这位极富传奇的天皇,便是日本史上第三任女皇-持统天皇。

作者:持统天皇(じとうてんのう)

出典:《万叶集》卷一.28
原文:春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天の香具山
(はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま)

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金暁明 译

(一)
神之香具山
已是春去夏来时
晾晒白衣衫

(二)
春己归去夏至时
晾我白衣香具山

(三)
春过夏日炎,
来风热显然。
晾吾白杉处,
天降香具山。

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趙晴 译
(一)
夏来晒白衫
春去骄阳风起处
天原香具山

(二)
夏来晒衣白衫舞
飘扬飞天香具山

(三)
夏至艳阳天,
天原舞白衫。
心随衣飘逸,
飞扬香具山。

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趙一可译

深宫感春逝,
极目眺神山。
何以知夏来,
白衣迎风翻。
歌以谢神恩,
天赐香具山。

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文法解釈
「来たるらし」は「来たる+らし」=「動・ラ四・終」+「推定・助動・終」で、「来るらしい」という意味。

「来にけらし」は「来+に+け(る)+ らし」=「動・カ変・用」+「完了・助動・用」+「過去・助動・体」+「推定・助動・終」で、「来たらしい」という意味になります。
「衣干したり」は「衣+干し+たり」=「名+動サ四・用+存続・助動・終」で「衣が干してある」という意。「衣干すてふ」は、「衣+干す+てふ」=「名+動・サ四・終+連語(=[といふ]の転)」で、「衣を干すという」という意味。

この歌は,全体の声調は端厳(たんげん)ともいうべきもので,第二句で,「来る(きたる)らし」と切り,第四句で,衣ほしたり」と切って,「らし」と「たり」でイ列の音を繰り返し一種の節奏を得ているが,人麻呂の歌調のように鋭くゆらぐというのではなく,やはり女性にまします御語気と感得することが出来るのである.そして,結句で「天の香具山」と名詞止めにしたのも一首を整正端厳にした.この歌の舞台となった橿原市は万葉の都。大和三山の畝傍山(199m)、香具山(152m)、耳成山(140m)がちょうど正三角形をなして、持統天皇のいた藤原京跡を取り囲んでいます。

神話では、香具山が天から降りてきたという話の他に、畝傍山を女性に見立て、耳成山と香具山が奪い合ったという話も残っているそうです。

参考文献:
1、《万葉の秀歌》中西進著 2012年7月10日筑摩书房发行
2、《写真でみる万葉集》 一九六〇年朝日新聞社
3、《万葉花譜》田中真知郞著(有)光書房