『蘊承軒・国際文化芸術窓口』三十八(中国語・日本語) 中国艺术的慧命一一祖国行之拜访刘墨先生

2017年10月末在北京故宫看宋代王希孟的《千里江山图》的行程中,我同香港美專的趙英老师及日本陶艺家长尾先生去拜访了刘墨先生。当时刘墨先生刚刚从山里写生回到北京。着迷于中国传统绘画的日本陶艺家长尾先生一下子被刘墨先生家的数不尽的書震撼着,被读了这么多書的刘墨先生征服……

刘墨先生中国美术史硕士,文艺学博士,历史学博士后。现从事经史学、古代学术史、艺术史研究,治学间以笔墨陶冶性情。我在读鲁迅美术学院时画论的担当老师是刘墨先生,遥远依稀的记忆里那时他还很年轻,个子不高,很书卷气,说话轻轻的,但刘墨先生很有性格的要求听他大课的人可以睡觉但不允许打呼噜(笑)……

我鲁迅美术学院毕业转眼快20载,现在电子产品手机盛行,微信通讯方便起来,我也每天用微信在朋友圈发布我的一些感悟和信息,使不经常联系的家人朋友知我一直每天在这里且安好。我也会有几位每天必看的其他朋友发布的微信朋友圈,因为读他们的朋友圈会使我感觉像在读一本好書。记得有一次和壁画画家王若极先生一同谈到每日必读的朋友圈时,我们两人同感读朋友圈的真谛,她将刘墨先生的朋友圈推荐给我,从此我也喜欢刘墨先生微信圈里的文图,书卷气中饱含犀利、自嘲、和幽默!后来正值去北京看展览,便带上奈良440年制墨老店古梅園的墨去拜访了刘墨先生。

刘墨先生在这日的微信圈里很淡雅的记述了我的此次拜访:
“上午刚刚把水煮好,有朋友自东瀛来,是我二十年前教过的学生,她不太记得我,我也不太记得她,倒不尴尬,慢慢在记忆中打捞一些记忆。
她以古梅园的一笏茶墨为礼,并亲自动手研磨,在纸上试了一下,墨中果然有淡淡的茶色。
同行还有一位日本的陶艺家,以及香港艺专的一位女士,我为她们泡普洱小青柑,配上她们带来的和果子,倒是相宜。
日本的陶艺家在学中国水墨,临过范宽的《溪山行旅》,给我看图片,倒是全神贯注的。
一上午,悠悠地过去了。
深秋,也不太冷。”

我很想拜读刘墨先生的论著,有幸得赠三本画册。画册中编辑着对刘墨先生的访谈,还有他自己的文章。在这里我摘录两处我关心和共鸣的文字给大家一同欣赏感悟……

关于文人画的论述:在文人绘画里面,我曾经把“文人画”三个字拆开、觉得中国的文人画以“人” 为中心,一边是“文”,一边是“画”。如果除掉“人”的话,就不存在“文人画”,这就是黄庭坚所说的“苟非其人,虽工不贵”。我们到看过去的艺术家是一个有趣的人、有风采的人、有境界的人、有格调的人;我们看到现在的画家虽确实是一个人,但除了画之外,其余不足观。
中国艺术的慧命:中国艺术的世界,不仅表达了画家的心境,更表达着画家代代相传的共通的心境。这种心境,虽然涉及到风格、流派、技法,但更是中国人的宇宙意识与生命情调,扎根在中国画家的慧命之中。

这种慧命,使中国绘画尤其是山水画总是贯注着一种勃勃不息的生机,一种贯穿于宇宙之中的“真情之流”。《易经》中常常可以看到这个“真情之流”的存在:
天地感而生万物,圣人感人心而天下和平,观其所感而天地万物之“情”可见矣。(咸卦彖)
天地之道恒久而不已,观其所恒,而天地万物之“情”可见矣。(恒卦彖)
萃聚以正也,观其所聚,而天地万物之“情”可见矣。(萃卦彖)
大者壮也,正大而天地万物之“情”可见矣。(大壮卦彖)
其意义又何在?朱谦之解释说,古代哲人在大自然现象之前,从容潜玩,以直探到处皆有的“情“,一切山川草木都是情的化身—由真情之流而流出的。你看天空海阔,月白风清,鸢飞鱼跃,山峙川流,充塞这个宇宙内,无非本体,如果人们能够在大自然中默默体会,从感性生出的斯歌,斯咏,斯舞,无时不一任真情,即无时不是本体,无时不与天地同流了……

刘墨先生的論述犀利的道出当代文人画的現状。我一直感觉現在一些不是文人的人们将文人画作为様式,「人」也或「文」都没有内涵,真的有种我们一直爱戴的文人画被辱没了的愤慨。……
关于書,只有你想不到的,几乎没有刘墨老师读不到的,这是我此次拜访的最深感受。同行三人特别是長尾先生结识刘墨先生这么学识渊博能書善画的中国学者型艺术家(艺术家型学者),感慨很深,这次中国行太充实了,并且他刚回日本就期待下一次的拜访了。

【日本語】中国芸術の慧命—祖国への旅・劉墨先生を訪ねて
2017年の10月末、中国北京故宮博物院で王希孟の『千里江山図』(宋代)が久しぶりに展示されると知り、私と日本の陶芸家の長尾先生は鑑賞旅行に出掛けました。その旅行の際、香港美專の趙英先生と共に劉墨先生の書斎にお伺いしました。
当時、劉墨先生は山に写生旅行に行かれて北京に戻って来たばかりでした。中国伝統絵画に魅了された長尾先生は、劉墨先生の書斎にあった数多の本に驚き、中国伝統絵画を深く研究されている劉墨先生に感服され、すっかり劉墨先生のファンになりました。

劉墨先生は私が瀋陽魯迅美術学院の学生だった時に『画論』の授業を担当して下さった先生でした。当時の劉墨先生は色白で上品な好青年でした。劉墨先生は授業中に生徒が居眠りすることは許して下さいました。しかしそこで鼾を掻くのは(授業の妨げになるので)絶対に許して下さいませんでした。(笑)遠い日の懐かしい記憶を、劉墨先生にお会いして思い出しました。

私が瀋陽魯迅美術学院を卒業してから早くも20年が経ちます。現代は高度情報社会で、多くの人が日常的に携帯電話を使い、中国ではWeChat(無料通話アプリ)が盛んです。私もWeChatやFacebookに、日記のように日々情報をアップしています。
たまにしかお会い出来ない中国の友人達に、私が日本で元気に頑張っていることを伝える意味もあります。そんな私が毎日必ずチェックする、何人かの友人のWeChatがあります。その友人達のWeChatは私の良きお手本となっています。壁画画家の王若極先生とWeChatでやりとりをした時、彼女は劉墨先生のWeChatを私に薦めてくださいました。今は劉墨先生のWeChatにアップされる文と図(写真)が私の大変なお気に入りです。書卷気の中に鋭く、ユーモアが有ります!今回の旅に、奈良で440年の伝統を誇る「古梅園」の墨をお土産にして劉墨先生をお訪ねました。
劉墨先生はこの日の事をWeChatに漢詩として以下のように記述されました。「午前にお湯を沸かしたばかり、友人が東瀛(日本の別称)から来る、私の二十年前の教え子、彼女は私の事をあまり覚えてなく、私も彼女の事を覚えていない、でもばつが悪くなく、ゆっくりと記憶の中から思い出を引き上げる。
彼女は古梅園の一笏茶墨をお礼にし、自ら墨を磨り、画仙紙に試筆すると、墨は茶色薄らと発色している。
同行の日本の陶芸家と香港芸術専科の先生に、私が「普洱小青柑」のお茶を入れ、そのお茶は彼女が持ってきた和菓子と愛想が良い。
日本の陶芸家が水墨画を制作しているとの話を聴き、彼が模写した北宋范寛の《溪山行旅図》を見せてくれた、作品に全神経を集中していた事が見えてくる。 午前中ゆったりとして落ち着いてた気分で過ごした。深秋,そんなに寒くはなかった。」

長い間ずっと劉墨先生の著書を拝読したかったのですが、大変嬉しい事にこの時三冊の画集を頂きました。この画集には劉墨先生の論述や対談も編集されていました。ここで少しその内容をご紹介しましょう……
文人画について:私は 「文人画」のこの三文字を分けて考えている。中国の文人画は 「人」 を中心とし、片側は「文」、もう片側は「画」であると。この中の「人」を削除するなら、「文人画」は成り立たない。蘇東坡(中国北宋代の政治家、詩人、書家)が「苟非其人,虽工不貴」(人は生き物で有り、物は生き物ではない。しかし人に重みがあれば、その人から出来た物は貴重で価値が有る。魂が無い人から出来た物には価値がない)と言った通りだ。昔から芸術家というのはユーモアのある人、風采のある人、境地のある人、格調のある人のこと。

しかしながら现在の画家は確かに「人」では有るが,その絵は物足りなく、芸術的価値はあまりない。

劉墨先生の論述は鋭く現代の文人画の現状を語りました。私も全くの同感です。現代は真の「人(芸術家)」ではない人達が、文人画の「画」を様式化しています。「人」にも「文」や「画」にも深みがありません。その存在は伝統的な「文人画」を辱めていると常日頃から痛感していました。
私達は・・・特に長尾先生は劉墨先生との出会いに深い感銘を受けられました。日本に帰国したばかりだというのに、私達は次回劉墨先生をお伺いすることを今から楽しみに考えているのです。

執筆者:李留雁